【原告団ニュース】精一杯闘ってきましたが『上告棄却』が決定しました。長い間のご支援に心からお礼を申しあげます
【東京大空襲訴訟原告団ニュース】(第32号・2013年5月29日)
精一杯闘ってきましたが『上告棄却』が決定しました
長い間のご支援に心からお礼を申しあげます
最高裁は、6年余たたかってきた東京大空襲訴訟に対し「本件上告を棄却する。本件を上告審として受理しない」との不当な決定(5/8付決定)を5月9日通知してきました。この決定は基本的人権と平和主義を基調とする憲法を蹂躙する不当な決定であり、怒りを込めて抗議します。
3月10日のアメリカの大型爆撃機の2時間半に及ぶ無差別焼夷弾爆撃では推定10万5千人余の死者を出しました。
亡くなられた方たちの遺骨は、戦後一緒になって骨壷に納められ、今だにさまよっています。
空襲で傷害者となり、親兄弟を失い孤児となった人など戦後の生活は筆舌に尽くせない苦労を重ねました。人々の偏見や差別を受け、心身に傷を負い、生涯にわたる生活苦を強いられました。
日本の国は、軍人・軍属には戦後53兆円にのぼる国費を投じ、年金、補償を行っています。
一方、民間被害者には「戦争だから我慢せよ」との「受忍論」で、空襲死者の追悼も謝罪、救済もせず戦後68年にわたって差別し続けてきました。
地裁、高裁の判決で、この戦争被害の「国家の道義的責務」を認め、「国会が様々な政治的配慮にもとづき、立法を通じて解決すべき問題」と指摘しています。
私たちは「空襲被害者等援護法」(仮称)の実現のため、衆参国会議員の諸先生のご支援と広く国民的世論の喚起をめざして、高齢ではありますが命ある限り努力していく決意を固めています。
どうか今後とも変らぬご協力とご支援をお願いします。 (原告団団長 星野 弘)
精一杯闘ってきましたが『上告棄却』が決定しました
長い間のご支援に心からお礼を申しあげます
最高裁は、6年余たたかってきた東京大空襲訴訟に対し「本件上告を棄却する。本件を上告審として受理しない」との不当な決定(5/8付決定)を5月9日通知してきました。この決定は基本的人権と平和主義を基調とする憲法を蹂躙する不当な決定であり、怒りを込めて抗議します。
3月10日のアメリカの大型爆撃機の2時間半に及ぶ無差別焼夷弾爆撃では推定10万5千人余の死者を出しました。
亡くなられた方たちの遺骨は、戦後一緒になって骨壷に納められ、今だにさまよっています。
空襲で傷害者となり、親兄弟を失い孤児となった人など戦後の生活は筆舌に尽くせない苦労を重ねました。人々の偏見や差別を受け、心身に傷を負い、生涯にわたる生活苦を強いられました。
日本の国は、軍人・軍属には戦後53兆円にのぼる国費を投じ、年金、補償を行っています。
一方、民間被害者には「戦争だから我慢せよ」との「受忍論」で、空襲死者の追悼も謝罪、救済もせず戦後68年にわたって差別し続けてきました。
地裁、高裁の判決で、この戦争被害の「国家の道義的責務」を認め、「国会が様々な政治的配慮にもとづき、立法を通じて解決すべき問題」と指摘しています。
私たちは「空襲被害者等援護法」(仮称)の実現のため、衆参国会議員の諸先生のご支援と広く国民的世論の喚起をめざして、高齢ではありますが命ある限り努力していく決意を固めています。
どうか今後とも変らぬご協力とご支援をお願いします。 (原告団団長 星野 弘)
「戦争なければ幸せに」 23日沖縄慰霊の日 遺族ら平和への願い切々
2013.6.24東京新聞より
「戦争なければ幸せに」 23日沖縄慰霊の日 遺族ら平和祈る
沖縄県は23日、太平洋戦争末期の沖縄戦が終結したとされる「慰霊の日」を迎えた。68年前の最後の激戦地となった沖縄本島南部、糸満市魔文仁(まぶに)の平和祈念公園で沖縄全戦没者追悼式が開かれた。
参列者約5800人は正午に黙とう。与那国島(与那国町)の町立久部良(くぶら)小1年の安里有生君(6つ)が、自作の詩「へいわってすてきだね」を朗読した。
激しい地上戦の記憶は、今も消えない。「戦争がなければ、幸せな将来があった」と花を手向け、声を詰まらせる遺族。
「一体、誰がこんな戦争を始めてしまったのか」。戦没者の名前を刻んだ石碑「平和の礎」前。照りつける日差しの中、那覇市の照喜名朝英さん(80)は海軍と陸軍にいた兄二人の名前の前で手を合わせ、沖縄名産のさんぴん茶をかけた。二人がどこで亡くなったのか、いまだに分からない。
「戦争なければ幸せに」 23日沖縄慰霊の日 遺族ら平和祈る
沖縄県は23日、太平洋戦争末期の沖縄戦が終結したとされる「慰霊の日」を迎えた。68年前の最後の激戦地となった沖縄本島南部、糸満市魔文仁(まぶに)の平和祈念公園で沖縄全戦没者追悼式が開かれた。
参列者約5800人は正午に黙とう。与那国島(与那国町)の町立久部良(くぶら)小1年の安里有生君(6つ)が、自作の詩「へいわってすてきだね」を朗読した。
激しい地上戦の記憶は、今も消えない。「戦争がなければ、幸せな将来があった」と花を手向け、声を詰まらせる遺族。
「一体、誰がこんな戦争を始めてしまったのか」。戦没者の名前を刻んだ石碑「平和の礎」前。照りつける日差しの中、那覇市の照喜名朝英さん(80)は海軍と陸軍にいた兄二人の名前の前で手を合わせ、沖縄名産のさんぴん茶をかけた。二人がどこで亡くなったのか、いまだに分からない。
東京空襲 体験者 進む高齢化 【都平和祈念館「早く建設を」 計画凍結14年 議会に合意努力求める】《都議選2013》
2013.6.11東京新聞より
東京空襲 体験者 進む高齢化 《都議選2013》
【都平和祈念館「早く建設を」 計画凍結14年 議会に合意努力求める】
東京空襲の資料を展示し、犠牲者を追悼する「東京都平和祈念館(仮称)」の「建設を進める会」は、都議選に候補を擁立する十の政党・政治団体にアンケートを出したが、回答がきたのは建設に賛成する共産、生活者ネット、社民、みどりの風の四団体だけ。
2001年に墨田区の都慰霊堂の敷地内に追悼碑は造られたが、都民が寄贈した資料約3500点や空襲体験者330人分の証言ビデオは都庭園美術館(港区)の倉庫に保管されたままだ。
空襲被害者約十万五千人の遺骨が眠る都慰霊堂は、もともと関東大震災の納骨施設。東京空襲犠牲者遺族会は今年1月、「独立した公的施設」の整備を都議会各会派と都に要望した。
東京空襲 体験者 進む高齢化 《都議選2013》
【都平和祈念館「早く建設を」 計画凍結14年 議会に合意努力求める】
東京空襲の資料を展示し、犠牲者を追悼する「東京都平和祈念館(仮称)」の「建設を進める会」は、都議選に候補を擁立する十の政党・政治団体にアンケートを出したが、回答がきたのは建設に賛成する共産、生活者ネット、社民、みどりの風の四団体だけ。
2001年に墨田区の都慰霊堂の敷地内に追悼碑は造られたが、都民が寄贈した資料約3500点や空襲体験者330人分の証言ビデオは都庭園美術館(港区)の倉庫に保管されたままだ。
空襲被害者約十万五千人の遺骨が眠る都慰霊堂は、もともと関東大震災の納骨施設。東京空襲犠牲者遺族会は今年1月、「独立した公的施設」の整備を都議会各会派と都に要望した。
【オウムとたたかった竹内精一さん】「人間爆弾」が戦友の命奪う。「戦前の洗脳」覚めぬ議員を危惧
2013.5.25の新聞より
【オウムとたたかった竹内精一さん(84)】
「人間爆弾」が戦友の命奪う。「戦前の洗脳」覚めぬ議員を危惧
山梨県上九一色村に進出したオウム真理教と6年間、敢然とたたかった竹内精一さん(84)。当時の新聞、テレビにも数多く登場しました。参院選を前にした自民党安部政権の憲法改悪への暴走に対し、「いまだに『戦前の洗脳』から覚めない人間がいる。戦争する国への逆戻りは絶対に食い止めなければ」と話します。
私は、「将来は軍人になる」と決め「満蒙開拓青少年義勇軍」に14歳で志願したガリガリの軍国少年でした。1945年8月9日、ソ連国境に召集され戦闘に参加しましたが、武器も尽き、ダイナマイトを体に巻きつけ敵戦車の下にもぐる「人間爆弾」が実行されました。幸い私は生き延びましたが、多くの戦友が命を失いました。
人生観変った
その後4年間のシベリア抑留中に、あの戦争が侵略戦争だったこと、戦争に反対した人たちがいたことを知り、人生観が変りました。
富士のすそ野での開拓事業は大変厳しく、つらいものでした。生まれ故郷で私は、農協の組合長としてその先頭に立ち、電灯導入や学校建設に懸命に取り組みました。
オウム真理教が上九一色村に進出を始めたのは1989年です。私はサティアンの建設工事等を証拠写真に残して住民にその実態を知らせ、反社会的集団であることを訴え続けました。地元のオウム対策副委員長として麻原彰晃と直接対決もし、若い信者らと何度も話し合いました。
そのなかで最も強く思ったことは、この集団が「教祖の指示があれば殺人さえ平気でやれる」ように洗脳されていることで、それはかつての「天皇のためなら平気で死ねる」と思い込んだ自分をみているようでした。
若い世代に・・・
「外国を侵略した日本の近代史をよく勉強してほしい。再び愚かな戦争への道を歩まないために」と。
【オウムとたたかった竹内精一さん(84)】
「人間爆弾」が戦友の命奪う。「戦前の洗脳」覚めぬ議員を危惧
山梨県上九一色村に進出したオウム真理教と6年間、敢然とたたかった竹内精一さん(84)。当時の新聞、テレビにも数多く登場しました。参院選を前にした自民党安部政権の憲法改悪への暴走に対し、「いまだに『戦前の洗脳』から覚めない人間がいる。戦争する国への逆戻りは絶対に食い止めなければ」と話します。
私は、「将来は軍人になる」と決め「満蒙開拓青少年義勇軍」に14歳で志願したガリガリの軍国少年でした。1945年8月9日、ソ連国境に召集され戦闘に参加しましたが、武器も尽き、ダイナマイトを体に巻きつけ敵戦車の下にもぐる「人間爆弾」が実行されました。幸い私は生き延びましたが、多くの戦友が命を失いました。
人生観変った
その後4年間のシベリア抑留中に、あの戦争が侵略戦争だったこと、戦争に反対した人たちがいたことを知り、人生観が変りました。
富士のすそ野での開拓事業は大変厳しく、つらいものでした。生まれ故郷で私は、農協の組合長としてその先頭に立ち、電灯導入や学校建設に懸命に取り組みました。
オウム真理教が上九一色村に進出を始めたのは1989年です。私はサティアンの建設工事等を証拠写真に残して住民にその実態を知らせ、反社会的集団であることを訴え続けました。地元のオウム対策副委員長として麻原彰晃と直接対決もし、若い信者らと何度も話し合いました。
そのなかで最も強く思ったことは、この集団が「教祖の指示があれば殺人さえ平気でやれる」ように洗脳されていることで、それはかつての「天皇のためなら平気で死ねる」と思い込んだ自分をみているようでした。
若い世代に・・・
「外国を侵略した日本の近代史をよく勉強してほしい。再び愚かな戦争への道を歩まないために」と。
【9日豊島で講演会】『戦災傷害者の68年間の歩み』名古屋空襲で左目失った杉山さんに聞く
「9条を世界にアピールを」 「改憲『3分の2』じゃなくちゃ」 「やっとたどり着いた理想主義 すごいこと」
「自主憲法制定運動」がはらむ戦後の虚構【改憲の源流とCIA人脈】
週刊金曜日2013.4.46号より
「自主憲法制定運動」がはらむ戦後の虚構
【改憲の源流とCIA人脈】
近年、国立公文書館(NARA)など米国政府による日本関連機密文書の開示が進み、占領期及びそれ以降の時代の隠された歴史が徐々に明らかになってきている。そこで目を引くのは、図のように自民党結党に参加した主要リーダーやその黒幕の多くが、連合国最高司令官総司令部(GHQ)の諜報部隊であった参謀第2部(G-2)や米国中央情報局(CIA)の工作員・協力者として暗躍していた事実だ。
自民党自身も、CIAに資金を仰いでいた。彼らはこれまで一貫して「自主憲法制定」を叫んできたが、外国勢力と裏で手を組み、密かにその意に沿うように国政を動かしながら「自主」を掲げるのは欺瞞ではないのか。安部首相は、これにどう答えるのだろう。
機密文書をもとに、自民党とCIAの隠された歴史に光をあてた『LEGACY of ASHES』より(翻訳名『CIA秘録』、文藝春秋)
「CIAと自民党の間における最も決定的な互いのやり取りは、カネと情報の交換だった」
「岸信介は、もし米国が自分の権力を固めるのを助けてくれるなら、新安保条約は可決され、左翼勢力を食い止められるだろうと語った。岸は一連の内密の支払いよりは、CIAからの恒久的な援助の資金源を欲しがった」
「アイゼンハワー大統領は自民党主要リーダーへのCIAの資金援助継続を許可し・・・・・カネは少なくとも4人の大統領の元で15年間にわたって流れ、この党が冷戦期に一党支配を打ち固めるのに貢献した」
「自主憲法制定運動」がはらむ戦後の虚構
【改憲の源流とCIA人脈】
近年、国立公文書館(NARA)など米国政府による日本関連機密文書の開示が進み、占領期及びそれ以降の時代の隠された歴史が徐々に明らかになってきている。そこで目を引くのは、図のように自民党結党に参加した主要リーダーやその黒幕の多くが、連合国最高司令官総司令部(GHQ)の諜報部隊であった参謀第2部(G-2)や米国中央情報局(CIA)の工作員・協力者として暗躍していた事実だ。
自民党自身も、CIAに資金を仰いでいた。彼らはこれまで一貫して「自主憲法制定」を叫んできたが、外国勢力と裏で手を組み、密かにその意に沿うように国政を動かしながら「自主」を掲げるのは欺瞞ではないのか。安部首相は、これにどう答えるのだろう。
機密文書をもとに、自民党とCIAの隠された歴史に光をあてた『LEGACY of ASHES』より(翻訳名『CIA秘録』、文藝春秋)
「CIAと自民党の間における最も決定的な互いのやり取りは、カネと情報の交換だった」
「岸信介は、もし米国が自分の権力を固めるのを助けてくれるなら、新安保条約は可決され、左翼勢力を食い止められるだろうと語った。岸は一連の内密の支払いよりは、CIAからの恒久的な援助の資金源を欲しがった」
「アイゼンハワー大統領は自民党主要リーダーへのCIAの資金援助継続を許可し・・・・・カネは少なくとも4人の大統領の元で15年間にわたって流れ、この党が冷戦期に一党支配を打ち固めるのに貢献した」
横浜・日吉 旧海軍遺構(大和出撃の司令部)で宅地開発 【文化財指定なく日吉台地下壕入り口 解体危機】
『東京大空襲訴訟 最高裁原告側上告退ける』という事実をテレビで報道しないNHKは公共放送といえるのか
【「東京大空襲 敗訴確定」 最高裁「受忍論」根拠示さず 原告側上告退ける】という事実をテレビで報道しないNHKは公共放送といえるのか
5月9日、東京新聞夕刊でこのニュースを知り、NHKのPM7時のニュースを聞いたが報道なし。PM8:45のニュースも報道なし。
10日PM9時前、NHKに電話を掛けて、この件をNHKはテレビのニュースで報道したかしなかったのかを質問した。調べてくれた結果、9日昼にインターネットでホームページのニュースでやったとの回答。このことをテレビで報道しないNHKは公共放送といえるのか。
約10万人が米軍の無差別爆撃で焼き殺され、100万人以上が被災した東京大空襲。戦後、全くなにも補償をされてこなかった、親を失った戦争孤児や重傷を負って今も苦しんでいる高齢の空襲被害者が、2007年に集団提訴した。国の実態調査や追悼施設も無く68年間放置されてきたことに対し、最高裁の不当判決もひどいが、『東京大空襲訴訟 最高裁原告側上告退ける』という事実を全くテレビで報道しないNHKはひどい。
「東京大空襲訴訟原告団ニュース」より
人間としての尊厳を回復してください!
心と身体に戦争は続いたままです
二度と子どもたちにこんな思いをさせないで
東京新聞2013.5.9&10(社説)
5月9日、東京新聞夕刊でこのニュースを知り、NHKのPM7時のニュースを聞いたが報道なし。PM8:45のニュースも報道なし。
10日PM9時前、NHKに電話を掛けて、この件をNHKはテレビのニュースで報道したかしなかったのかを質問した。調べてくれた結果、9日昼にインターネットでホームページのニュースでやったとの回答。このことをテレビで報道しないNHKは公共放送といえるのか。
約10万人が米軍の無差別爆撃で焼き殺され、100万人以上が被災した東京大空襲。戦後、全くなにも補償をされてこなかった、親を失った戦争孤児や重傷を負って今も苦しんでいる高齢の空襲被害者が、2007年に集団提訴した。国の実態調査や追悼施設も無く68年間放置されてきたことに対し、最高裁の不当判決もひどいが、『東京大空襲訴訟 最高裁原告側上告退ける』という事実を全くテレビで報道しないNHKはひどい。
「東京大空襲訴訟原告団ニュース」より
人間としての尊厳を回復してください!
心と身体に戦争は続いたままです
二度と子どもたちにこんな思いをさせないで
東京新聞2013.5.9&10(社説)