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軍国主義教えた国民学校元教員「子どもたちに命の大切さを教えられなかった」

2013.8.25東京新聞「憲法と」ー不戦のとりでーより
軍国主義教えた国民学校
疑問持てなかった 命の大切さ伝えたい
 「子どもたちに命の大切さを教えられなかった。それが一番悔やまれる」。広島市の中心部にあった大手町国民学校の元教員藤川信子さん(88)はセピア色の写真に目を落とした。担任していた二年生のクラス写真を見ると、今も涙があふれてくる。緊張した面持ちの子どもたちの三分の一ほどが原爆で命を失った。
1943年春、女学校を出て17歳で教員に。歴代天皇の名前の暗記や、わら人形を竹やりで突く訓練など軍国主義的な授業を、当たり前にしか思わなかった。子どもたちには「米兵がきたらやっつけるんだよ」と話すこともあった。
それでも、違和感を覚える場面はあった。教員を集めて行われた修身の研究授業で、「神様って本当にいるんですか?」と聞いた女の子が職員会議で「危ない子だ」と糾弾されるのを聞き、背筋が凍る思いがした。神話の授業の指導書には「子どもたちに疑問を持たせぬように教えること」とかかれていた。
 天皇に尽くす「皇国民」の練成を目的とした国民学校は41年から戦後の47年までの6年間設置された。従来の愛国心教育の色合いが強まり、修身や国語、国史などが国民科として再編された。児童は「少国民」と呼ばれ、教科書で日本は「神の国」と表記された。
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沖縄慰霊の日【集団的自衛権容認 政府へ不信】沖縄戦で両親を失い7歳で戦争孤児になった女性

2014.6.23東京新聞より
沖縄慰霊の日【集団的自衛権容認 政府へ不信】
沖縄戦で両親を失い7歳で戦争孤児になった女性訴え ベトナム戦争に従軍した夫も失くした。「沖縄を二度と戦争に巻き込まないで。日本にも米国にも利用されないで」
 1945年の沖縄戦が一人娘で「宝のように」大事に育てられていた暮らしを一変した。銃弾の降り注ぐ戦場ではぐれた母の新垣ヒデ子さんは、大里村(現南城市)の壕に避難中、米軍の攻撃を受け死亡。パラオに出稼ぎに行っていた父の蒲さんは米軍の空襲で亡くなった。7歳で戦争孤児になった米ジョージア州に住む勝江ガーナーさん(76)。戦後は「生き地獄だった」。食べ物に困り果て、栄養失調で痩せ細った。下着も十分なく、夏も冬もはだしで外をさまよい歩いた。何より頼れる肉親を失ったせいで精神のバランスを崩した。
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語り部の証言 次世代に【沖縄戦 女子学徒隊の88歳映画化】【「慰霊の日」23日初上映】

2014.6.21東京新聞より
語り部の証言 次世代に
【沖縄戦 女子学徒隊の88歳映画化】【「慰霊の日」23日初上映】
 太平洋戦争末期の沖縄戦で、県立首里高等女学校から女子学徒隊として動員された宮城巳知子(みちこ)さん(88)=沖縄県嘉手納町=の証言を収めたドキュメンタリー映画「17才の別れ」が完成した。 制作したのは、長年テレビコマーシャルなどを手掛けてきた東京都目黒区の斉木貴郎さん(64)。体力が落ち、人前で語ることが難しくなった宮城さんの思いを将来に伝えたくて、初めて映画を撮った。沖縄戦の組織的戦闘が終った「慰霊の日」23日、県平和祈念資料館(糸満市)で初上映される。
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【「戦争 赤ちゃんまで犠牲」大空襲直後の東京 紙芝居に】85歳女性 16歳時の体験伝える

2014.6.19東京新聞より
【「戦争 赤ちゃんまで犠牲」大空襲直後の東京 紙芝居に】
85歳女性 16歳時の体験伝える
 この女性は東京都大田区の迫田典子さん(85)。当時は都立深川高等女学校(現深川高校)の4年生だった。戦時体制が強まり、迫田さんも勤労動員の名のもとに、江東区亀戸にあった軍需工場で計器を作る仕事をしていた。
 6年かけて完成した紙芝居のタイトルは「もう・いや/私が見た東京大空襲」好きだった英語や音楽の授業がなくなっていったことや、空襲翌日の新聞各紙では被害がほとんど報じられなかったこと。戦時中の暮らしや社会にも触れ、軍国主義がどういうものだったかも伝える。T小東京新聞2011114.6.19大空襲直後の東京紙芝居に.jpeg

戦死者ゼロは9条のおかげ

2014.6.5東京新聞投稿欄(発言】より
戦死者ゼロは9条のおかげ
無職 椎名文彦(66)(千葉県横芝光町)

 1947年に施行された日本国憲法は、私とほぼ同時期を生きてきた。私は高齢者の仲間入りをしたが、憲法は壮齢であると思う。九条があるから、私が生まれてから戦死者が出ていない。これは、この国の自慢だ。伯父が戦死した私は、そう考えてきた。 
 だがここへ来て、集団的自衛権行使容認への解釈変更で九条が危ない、と知人はいう。私の自慢が揺らいできそうなのだ。 
 そこで、いくつかの憲法のつどいに参加し、考えたのだが、この国は「戦争をしない国」ではなく、「「戦争できない国」だということである。世界に冠たる理想を憲法九条は規定しているのだ。だから 「戦死者ゼロ」はその証であり、誇れることなのだ。永遠にゼロにしたい。「不断の努力」で憲法九条を保持し、ノーベル平和賞に輝かせたい。

解釈改憲して目指すものは

2014.6.5 東京新聞投稿欄【発言】より
解釈改憲して目指すものは
会社員 松尾 剛(46)(埼玉県入間市)

 解釈には解釈できる範囲があると思う。安部首相の憲法解釈変更は、「法の目的によりかなっている」という変更ではなく、やりたいことがあって、それに合わせるために解釈を変更するという、本来あってはならない行為ではないか。
 九条の解釈については自衛隊が合憲というところがギリギリだと思う。それでちょうど良い。なぜなら自衛隊が明々白々に合憲になると解釈の範囲が一歩広がるからだ。自衛軍になり国防軍になり、世界中の紛争に軍を出さないと自国が防衛できない、などという解釈につながりかねない。
 安部首相は日本をどうしたいのか。ゴールを示してから説明してほしい。 

若者の声「平和を支える9条を守りたい」

2014.6.4東京新聞投稿欄発言【若者の声】より
「平和を支える9条を守りたい」
中学生 山崎千尋(13)(東京都立川市)

 私は憲法9条改正に反対します。9条は日本の平和を支えている、とても大切なものだと思うからです。安部晋三首相は、憲法解釈の変更で集団的自衛権の行使を認める考えを示していますが、 私は、実質的に9条を変えることになる集団的自衛権の行使は認めない方がよいと思います。 
 その理由は戦争が起こってしまう可能性があると思うからです。戦争ほど大きくならなくても死傷者が出てしまうと思います。戦争は、実際に知らない私たちには想像もつかないものです。だからこそ、戦争体験者の声に耳を傾けると時なのではないでしょうか。そして後で「こうすればよかったのに」と思わない未来になってほしいです。

横浜大空襲69年「戦争やめて」 民の犠牲生涯訴え 神奈川県戦災障害者の会鋤柄さん(93)逝く

2014.5.28東京新聞より
横浜大空襲69年「戦争やめて」 
民の犠牲生涯訴え 神奈川県戦災障害者の会鋤柄敏子さん(93)逝く
太平洋戦争末期、約8000人が死亡したとされる米軍の横浜大空襲から29日で69年。この空襲で重いやけどを負い、「神奈川県戦災障害者の会」の会長を務めた鋤柄敏子さんが昨年12月、93歳で亡くなった。戦争の恐ろしさを訴え続けた人生。特定秘密保護法が成立するなど平和憲法が揺らぐ時期の死に支援者らは「思いを受け継がなければ」と決意を新たにしている。
支援者の聞き取りによると、鋤柄さんは、東京駒込の自宅を4月の空襲で焼かれ、疎開中だった1945年5月
29日、横浜市港北区の知人宅で大空襲に遭った。25歳だった。隠れた縁の下から這い出したとき、鉄の筒に油脂を詰めた焼夷弾が炸裂し顔などに大やけどを負った。
 70年代、空襲の負傷者の団体が全国に作られ、鋤柄らも76年に神奈川県戦災障害者の会を設立。やけどをした人や手足を失った人など約20人が集り、鋤柄さんが会長になった。国に援護法制定を求める署名を
集め、自治体を訪ねて援護や調査を要望。県と19市の議会で政府への意見書が可決された。
 それでも、国は動かなかった。
 会員の高齢化で活動が難しくなってからも、「生きているだけで平和の使者」と励まし合い、小中学校などで「戦争をしてはいけない」と呼び掛けた。
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戦争しない国 ずっと守ろう

2014.5.9東京新聞投稿欄【発言】より
戦争しない国 ずっと守ろう
会社員 柿崎裕美子(21)(神奈川県小田原市)

 私たちの日本の平和を守ってきた憲法が今、変えられようとしています。果たして、この国で何が起ころうとしているのでしょうか。 
 私たちの知らないところで事実上の戦争がたくさん行われています。日本もアメリカに引きずられて戦地に赴き、戦闘区域に入っていなくても、戦争の手助けをしてしまっているわけです。
  米軍の艦船などに給油し、人の手当をし、どこまで間接的な戦争をしているのでしょうか。もし九条が変えられてしまったら、日本は世界に銃を向け、直接的な戦争をすることになります。戦争をしない国ではなく、戦争がいつでもできる国になってしまいます。 
 それは私たちからはもちろん、ほかの国の家族を傷つけ、そして多くの命を奪います。何のために九条が定められたのか今、再び考え直すべきです。 
 過去の過ちを絶対に繰り返さないためにも、そして未来の平和のためにもです。

「戦地に国民」への道 解釈改憲検討 首相が表明

2014.5.16東京新聞【筆洗】より
今、そこに大量破壊兵器や弾道ミサイルの脅威が差し迫っている。
そう言って始めたイラク戦争の大義がまやかしだったと分かった時から、英国ではこの戦争の検証が始った
▼強い権限をもつ調査委員会が機密文書を調べ、公聴会も重ねてブレア元首相らにも証言を求めた。検証の一つの焦点となったのが、英政府の「法の番人」たる法務長官を務めたゴールドスミス卿の言動だった

▼彼は当初、イラクへの武力行使は、国際法上「違法」だと名言していた。だが、2003年2月に訪米したことで考えを変える。ブッシュ政権の法律担当者らに「合法」だと説得されたのだ

▼英外相らからも再考を促されていた長官は、ついに英国の参戦に青信号を出した。法の番人が政治家や米国の言いなりとなって法解釈を歪めたことで、03年3月20日、英国は泥沼の戦争に突入した

日本政府の法の番人・内閣法制局長官は集団的自衛権の行使は憲法が許さないと言ってきた。その番人を自分の意を汲む人物にかえた安部首相はきのう、これまた自分の意を汲んだ有識者らの提言を受け、集団的自衛権行使に向け舵を切った

日本も米国の求めでイラクに航空自衛隊などを派遣した。後に裁判所は空自の活動は違憲だったと断じたが、政府はあの戦争の検証すらまともにしていない。過去に学ばず、どんな未来に向かうというのだろう。
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