東京大空襲と戦争孤児【その3】

東京大空襲と戦争孤児
烏山区民センター第16回文化祭(2013年10月)「憲法9条を愛する烏山地域の会」展示より

敗戦後の荒廃した時代、戦争孤児たちは?
 敗戦後の大都市には、戦災で両親を失った孤児がいたるところにいた
 戦後数年間、上野駅地下道など(全国各地の駅周辺)に親も家も失った浮浪児がたむろしていた。地下道のコンクリートの上でごろ寝します。浮浪児はゴミ箱をあさるが、当時は食べ物が何もない時代。腐ったもの、魚の骨、リンゴの芯しかない。餓死や、腐った物を食べ中毒死、寒さに震え凍死していく子が続出しました。
T小 東京大空襲・45年12月から浮浪児狩りが行われたが・・・.jpeg
45年12月から上野では『浮浪児狩り』は何度となく行われたが、脱走は繰り返され浮浪児の数は増える一方だった。
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空襲の激しかった名古屋も戦災孤児が多かった。ここでも駅をねぐらに靴磨き(47年8月)

 国は戦争孤児を放置した
 親戚に預けられた孤児 =107、108人
 独立して生計を営む孤児= 4、201人
 施設に収容された孤児 = 12、202人    全国孤児数123、511人
                  厚生省調査(昭和23年2月1日全国一斉調査)

 ◆ 浮浪児3、5万人~4万人の浮浪児はこの数に入っていない(住所不定のため)。
 ◆ 養子に出された子も「親も家もある」ということで、孤児全数の中に入っていない。
 これらを足すと日本に10数万人の孤児が発生したことになる。なぜこれほど多くの孤児が生じたのか。日本の多くの都市が爆撃されたからである。全国で95万人の市民が殺された(1994年8月14日、東京新聞調査、50年後の調査)。
T小 東京大空襲・猛火に追われ焼け残った浅草の東本願寺に避難した人々.jpeg
空襲後の猛火に追われた人々は着の身着のままで逃げるのに精一杯だった。肉親と離ればなれになった子供たちも多かった。焼け残った浅草の東本願寺に避難した人々。

孤児の行く先
 上の表から国は9割以上を困窮している親戚に引き取らせたり、知人や養子にだしたり、国が費用を負担しないですむ対策をとった。すなわち、孤児に対して国の予算がつかなかった
 施設に預けられた孤児は約1割である。その内、民間施設238。官公立は38(同胞援護会、昭和21年12月調査)と施設全数の14%と驚くほど少ない。学童疎開中の孤児は、東京の場合は80名程度しか養育していない。この微びたる数で、国は戦争孤児を保護、養育したとはいえないだろう。民間人が私財を投げだして孤児施設をつくり、孤児たちを救済してくれたのだ。

学童疎開中に孤児になったもの=国や都の対応
★ 1945年6月、学童疎開中に空襲で両親を失った孤児たちを「戦災遺児の親は国難に殉じたのであるから、国は「国児院」をつくり、孤児たちを国が養育すると発表したが実行しなかった。国は孤児に予算措置を全くせずに、あたかも孤児たちを保護したかのような文書だけを発表した。

★東京都の学童疎開中の戦災孤児は、約3万5千人~5万人ぐらいと推定される。「東京都は学童疎開中の引き取り手のない孤児を、多摩の8学寮で345名を養育した」と様々な文献、東京戦災誌などに「345名を養育した」となっているが、これは疎開協などが調査した結果、8学寮(寺)に収容予定だった孤児たちを、次々に養子にだしては人数を減らし、小山学寮一つになり、81名しか養育していない。
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疎開先から一時帰京した学童。この日、東京大空襲で多くの子が死んだ。

学童疎開以外、空襲下を逃げた孤児等
 焼け跡に放り出された孤児たちは、その日から食べ物がありません。幼児、疎開残留(疎開しなかった児童)は浮浪児になるか、親戚、知人に引き取られたようです。
 中学生は学徒動員されていたが、敗戦と同時に放りだされ、浮浪児になった子も、学業を断念して働きはじめた子もいました。まだ13~15歳の中学生が、家もなく、親もなく、食料のない時代にたった一人で生きていくのは、どれほど悲惨であったか。

「浮浪児狩り」について
 国は、浮浪児=非行児、不良児とみなしていました。
 浮浪児は10歳前後がほとんどで、これは学童疎開した年代です。アメリカ占領軍から「汚いからこの浮浪児を、一掃せよ」と命令をうけた国は、「浮浪児狩り」と称して「一匹、二匹」と浮浪児を捕まえ、トラックで施設に運び、孤児が逃げ出さないようにハダカにして、鉄格子の中に閉じこめてしまいました。
 浮浪児は少年犯罪者として極印を押され、少年院や刑務所に入れ、社会から隔離されました。内部は矯正と称して殴る蹴る、軍隊もどきの体罰で、当時の国会でも人権蹂躙だと、問題にされました。脱走する子が多く、愛のない体罰は、子どもを反抗的にさせるだけで、多数が犯罪者になり、転落していったそうです。
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逃げ出さないよう鉄格子に入れられた戦災孤児(お台場にあった孤児収容施設)

都養育院 
 敗戦前後の都の公的孤児施設は、戦前からあった既存の養育院しかなかった。
収容者629人の食肉配給がいまだ一度も無き候につき昭和19年度38人、昭和20度316人の死者を出した」(養育院60年史より)
 都養育院は板橋養育院と栃木分院、安房分院がありました。
* 安房分院では館山保健所長の調査によると、「歩行困難21名、疥癬79名、入所児童140名中117名の8割が栄養失調」と報告されている。
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寮母さんのお話を聞いているーー孤児施設安房臨海学園ーー

* 栃木分院では「昭和19年7月に開設され、昭和27年7月閉院まで、8年間の間に681名が永眠した」と塩原の墓石に刻まれた碑文が見つかりました。
* 板橋養育院に入所していた孤児の栄養失調の写真(菊池俊吉氏が撮影)があります。こうした孤児施設に国からの食料の配給がなかったのです
* 当時5歳だったSさんは、板橋養育院へ入れられました。死体がごろごろしていて死体の横に寝かされ、その後、安房分院へいきましたが、そこで孤児たちが柱の前に座り込み、振り子時計のように、頭を一日中ぶつけている子が何人もいたそうです。精神異常になってしまったのです。

孤児たちを救ったのは、民間人の善意だった
民間孤児施設
 当時、巷にあふれた孤児たちを、民間の篤志家が、私財を投げ出して施設をつくり、孤児たちを収容して養育しました。民間人が孤児たちを救ったのです。それでもあとからあとから親戚や養子先を逃げてくる子が後を絶たないので、浮浪児が増える一方、施設の絶対数の不足で浮浪児は減りませんでした。
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東京・池袋の篤志家による戦災孤児収容所で昼食をとる子どもたち(46年5月)。

○ 希望の家 (葛飾区)福島政一氏経営
 「母子授産所だったが、都民生局の役人がトラックで20数人の浮浪児をつれて、突然やってきた。他に行き場所がなかったようだ。栄養失調で声はガラガラ。皮膚病にやられシラミだらけ。大人を警戒する目。その日から戦災孤児を育てる事業が始まった。国からの援助、補助は一切なかった。先祖代々の土地、銭湯、家財も売って子どもたちに食べさせた。他の施設ではコン棒が当たり前だったが、愛情こめて育てた。6畳二間の貧弱な部屋でも、子どもたちが、『ぜいたくはいらない。旨いものはいらない』といってくれたのが何よりうれしかった」(福島政一氏談)

○ 愛児の家 (中野区) 石綿さだよ氏経営
 「1945年9月、主婦だった石綿さんは、飢えた浮浪児を見かねて家で保護したのがきっかけで、孤児施設をつくった。自宅の家屋敷を開放し、私財を投じ、47年には107名になった。食料が底をついたときもあった。高価な着物や道具も売り尽くした。他の施設で逃亡をくり返していた子が、高校へ入ったり、職業を身につけさせることを考えたり、愛情もって育てたので、皆逃げずに、実家だと思ってくれているのが誇りだ」(さだよさんの三女裕子さん談)(「千人の孤児とともにー戦災孤児をそだてた石綿さだよ」久保喬作)

○ 少年ハウス (足立区)河村契全氏経営
 足立区で昭和21年10月からバラック建築をはじめた。そこへ浮浪児7人が「おじさん泊めてくれよ」と尋ねてきた。相当の悪童だった浮浪児が次々に集まるようになり、芋がゆをすすりながら小学校へ通わせ、子たちに笑顔が戻った。(S23年4月24日毎日)

○ 「鐘の鳴る丘」のような「少年の家」(群馬県)品川博氏経営
 NHKドラマ「鐘の鳴る丘」はGHQの浮浪児対策からつくられたという。
 昭和21年3月、ラバウルから復員して、故郷赤城山の麓の村に帰るため上野駅までやって来た品川さんは、戦災孤児たちの悲しい現実にショックをうけ、孤児たちを救う決意をし、孤児たちに家と教育と職業を確保するために「鐘の鳴る丘」のような「少年の家」をつくった。戦災孤児のよりどころとなった「少年の家」から多くの子どもたちが救われ、世界へ羽ばたいていった。(「愛と勇気の鐘 孤児たちに一生をささげた品川博の愛の奇跡」藤崎康夫著 くもん出版)

 これらの私立の養護施設は愛情をもって養育したので、子どもたちは逃げ出さなかった


戦争で失った父母と家・戦災孤児の救出
T小 東京大空襲・孤児たちを救出した3人を紹介(本など).jpeg






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